どんな最期を迎えたいかが、いまの生き方を決めてくれる

学びと気づき

人生の最期に、私はどんなことを思うんだろう。

そんなことを考えるようになったのは、大切な人たちとの別れを経験してきたからかもしれません。

母を病気で見送り、父を自死で亡くし、義母も病気で見送りました。

それぞれの別れは違うものでした。

そして、そのたびに私の中に残った想いも、少しずつ違いました。

母を見送ったときには、心も体も、できるだけ無理を重ねずに大切にして生きたいと思うようになりました。

父との別れからは、孤独について考えるようになりました。

義母を見送ったときには、人生の最期は、できることなら穏やかな時間であってほしいと、より強く願うようになりました。

もちろん、誰がどんな最期を迎えるのかは、自分で決められるものではありません。

病気になることもあるし、自分ではどうにもできないことだってあります。

それでも、いくつもの別れを経験するなかで、私の中には少しずつ、ひとつの願いが強くなっていきました。

できることなら、私は穏やかに人生の最期を迎えたい。

私は、「老衰で人生を終えられたらいいな」と思うようになりました。

最期に「ああ、幸せだったなぁ」と思いたい

私が思い描いているのは、ただ長く生きることではありません。

人生の最後に、

「ああ、幸せだったなぁ」

と思いたいんです。

大好きな人たちと、たくさん笑った。

幸せな時間を、たっぷり味わった。

ワクワクすることもした。

好きなことも楽しんだ。

「やってみたい」と思ったことにも挑戦した。

そして、まわりがどう思うかではなく、自分が思うように生きた。

そんなふうに自分の人生を振り返れたら、私はきっと、

「いい人生だったなぁ」

と思える気がします。

反対に、したくない人生もあります。

我慢した。
やりたかったけれど、やらなかった。

そんな言葉ばかりが残る人生にはしたくありません。

「できない」で終わるのではなく、どうしたらできるかを考える

もちろん、やりたいと思ったことが何でもできるわけではありません。

時間が足りないこともある。

お金が必要なこともある。

家族との兼ね合いもあるし、今すぐには難しいことだってあります。

そんなとき、私は、

「無理だからやめよう」

で終わるのではなく、

「じゃあ、どうしたらできるだろう?」

と考えたいんです。

今すぐ全部は無理でも、一部ならできるかもしれない。

やり方を変えればできるかもしれない。

一年後ならできるかもしれない。

誰かの力を借りればできることだってあるかもしれない。

「できない理由」を探すより、「できる方法」を考えてみる。

そうやって、自分の「やりたい」を大切にして生きるようになりました。

人生の最期は、今日とつながっている

ここまで考えたとき、ひとつ気づいたことがありました。

人生の最後の日になって突然、

「幸せな人生だった」

と思える人生が完成するわけではないんですよね。

人生は、今日まで生きてきた一日一日の積み重ねです。

だったら、人生の最後に「大好きな人たちとたくさん笑った」と思いたいなら、今日、大好きな人と笑う。

「好きなことをたくさん楽しんだ」と思いたいなら、今日、小さくてもいいから好きなことをする。

「やりたいことをやった」と思いたいなら、やりたいと思ったことを、いつまでも「いつか」にしないでやってみる。

そういう小さな一日が積み重なって、私の人生になっていくんだと思います。

健康も、お金も、時間も、その人生を楽しむために

だから私は、自分の体を大切にしたい。

健康そのものを人生の目的にしたいわけではありません。

元気でいられたら、大好きな人と出かけられる。

行ってみたいところへ行ける。

やってみたいことに挑戦できる。

自分の好きなことに時間を使える。

だから、できる範囲で体を大切にしていたいんです。

お金も同じです。

ただ貯めるためでも、増やすためでもなく、自分が生きたい人生をつくるために使いたい。

そして時間は、そのすべてを味わうためのもの。

私にとって健康も、お金も、時間も、目的ではありません。

「ああ、幸せだった」と思える人生を生きるために、欠かせない大切なものなんです。

最期を考えたら、今日を大切にしたくなった

人生の最期が、実際にどうなるかは分かりません。

それでも私は、いつか人生を振り返ったとき、

「やりたいこと、いっぱいやったなぁ。
たくさん笑ったなぁ。
幸せだったなぁ」

そう思えたら、うれしい。

だから私は、「我慢した」「やらなかった」で人生を終わらせないために、今日を大切に生きたいと思っています。

人生の最後に「幸せだった」と思えるのは、あなたにとってどんな人生でしょうか?

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