“時間は命”という考え方が、私の生き方を変えた話

学びと気づき

今日も一日、あっという間だった。

やることに追われているうちに、本当に大切にしたかったことが後回しになってしまう。

そんな毎日を過ごしていませんか?

私が「時間は命」という言葉を深く考えるようになったのは、いくつかの出来事がきっかけでした。

母を見送ったこと。

夫が長時間働き、私がワンオペ育児をしていた頃、家族でゆっくり過ごす時間が少なかったこと。

そんな経験を重ねるなかで、時間はいつまでもあるものではないと強く感じるようになりました。

一度過ぎた時間は、二度と戻ってこない。

そう考えたとき、私の中にひとつの問いが生まれました。

「私は、自分の時間を本当は何に使いたいんだろう?」

母を見送って、心に残った問い

母が亡くなったとき、私には「もっと話しておけばよかった」という後悔はありませんでした。

生前、母とはたくさん話をしましたし、一緒に過ごした時間もありました。

ただ、母を見送ったあと、ふと考えることがあったんです。

「母は、幸せだったのかな」

毎日働き、家事をこなし、子どもたちの世話をしていた母。

家族のために、たくさんの時間を使ってくれました。

そんな母に、もっと自分の好きなことを楽しんだり、自分自身の幸せを味わったりする時間もあってほしかった。

もちろん、母が自分の人生をどう感じていたのか、本当のところはわかりません。

そんな母の人生を振り返るうちに、私自身の生き方についても考えるようになりました。

人生には限りがある。その時間を、私は何に使いたいんだろう。

母との別れは、そんな問いを私に残してくれたのだと思います。

家族で笑い合う時間が、ほんのわずかだった頃

夫が長時間働き、私がワンオペで育児をしていた時期がありました。

子どものお世話をして、家事をして、一日をなんとか終わらせる。

夫も家族のために一生懸命働いてくれている。

それはわかっているのに、家族みんなでゆっくり過ごせる時間が少ないことに、どこか寂しさを感じていました。

そんな日々の中で、私が本当に欲しかったのは、特別な贅沢ではなかったんです。

家族そろって夜ごはんを食べること。

子どもの今を、夫と一緒に味わうこと。

なんでもない話をして、家族で爆笑すること。

そんな何気ない時間こそ、私がもっと大切にしたかった時間でした。

時間を使うことは、命を使うこと

母を見送ったこと。

家族で過ごす時間が少なく、寂しさを感じていたこと。

そんな経験を通して、私の中で「時間は命」という言葉の意味が、少しずつ深まっていきました。

時間は、誰にとっても一日24時間。

たとえば、今日の何気ない1時間も、過ぎてしまえば二度と戻ってきません。

そう考えると、時間を使うということは、自分の人生の一部を使っているということなんですよね。

時間を使うことは、命を使うこと。

だからこそ私は、自分の時間を何に使うのか、大切に考えていきたいと思うようになりました。

家族と笑い合う時間も、一人で好きなことを楽しむ時間も。

誰と、何をして過ごしたいのかは、人それぞれ違うと思います。


あなたは、どんな時間に命を使いたいですか?

私にとって大切なのは、大好きな家族と笑い合う、何気ない時間です。

もちろん、大切にしたい時間は人それぞれ違うと思います。

好きなことに夢中になる時間。

一人でゆっくり過ごす時間。

大切な人と一緒に過ごす時間。

どんな時間を大切にしたいかは、自分自身が決めていいんですよね。

毎日のすべてを思いどおりにできるわけではありません。

それでも、ときには立ち止まって、自分の心に聞いてみたいと思います。

あなたは、二度と戻らない自分の時間を、本当は何に使いたいですか?

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